松山俘虜収容所
 ー日露戦争に於ける俘虜診療に関わったある医師のアルバムからー



最モ愛スル朋友ナル、ドクトル、矢野管吉氏
ニ対シ好キ紀念トシ、ドクトル、ソルハ、ヨリ
松山
千九百〇四年 十月
海軍      ソルハ氏
赤十字社 ルーシコーフ氏
陸軍   パポウイッチ氏
陸軍 シュウエ・ツオーフ氏
印度侍医 パイラマール氏
松山捕虜収容所日記
ロシア将校に見た明治日本
F・クプチンスキー
小田川研二訳
中央公論社
p151
ロシア人医師の捕虜生活四月にチュレンチェンの戦闘で投降した捕虜の中に、たまたま三人の医学博士がいた。
二人は軍医でもう一人は赤十字の医師、そのあとでリューリック号の医師一人が合流した。
捕虜として拘留期間中は、「日本の賓客」と呼ばれていた。彼らは治療に当たることは許されなかった。

ロシア人医師はよく手術に立ち会った。麻酔で昏睡状態になるまで元気づけてくれるロシア人医師が傍にいると、
負傷兵は安心して危険な手術を日本人医師に任せた。
十一月にこの四人の医師は衛生兵と数名の傷病兵とともに釈放された。
松山収容所
捕虜と日本人
才神時雄著
中公新書
中央公論社
p54
インド人なら、バール・マールというインド王の侍医だった者が,バラック収容所にいた。
日本の医師の技量に感服して、菊池博士のもとで、名目はどのようでもいいから助手として働かして欲しい、
と申し入れたそうだが、その後のことはわからない。